治療院を開院するに至った経緯をちょっとだけ書きたいと思います。私は兵庫県の片田舎というと怒られそうですが、小野市というところで生まれました。未熟児寸前で生まれたそうです。あっ、現在の分類では未熟児ではなくて低体重児になりますね。
父は総合建設業、母は飲食業を営んでおりました。いやいや、今もそうですが…なので、小さい頃は父と一緒に現場に行って、現場で、材料の砂とかセメント、左官屋さんに貰ったお古のコテなんかで、よく遊んでいました。今は現場で小さな子供が遊んでいたりしたら、怒られちゃいますけど、当時は民間の仕事なら特に怒られる事もなかったですね。(笑)
そして、段々大きくなって、弁護士になりたいとか、いやいや検事がいいとか、やっぱり医者になりたいとか勝手な事を夢見たりしてましたけど、結局は建築を勉強しようと思って建築家を目指すようになりました。そして大学で建築学科に進学する事になりました。まぁ学力が振るわなかった事もあって、志望大学ではなかったですが、大学時代の友人は今でも繋がりがありますし、行って良かったと思ってます。そして、大学1回生の時に、突然、左眼を失明しました。原因は不明です。何度かオペもしたので、合計で2ヶ月以上入院しました。その後は大学を卒業し、兵庫県に戻って、地元のゼネコンに就職しました。就職先は当時、県内で7、8番目ぐらいの規模のゼネコンでした。
そして、何年か右眼だけで生活してましたが、また突然眼が見えなくなりました。この時は左眼の時と、少し様子が違っていたので、大丈夫かと思いましたが、結局は失明してしまいました。(涙)原因はまたしても不明でした。
その後、国立神戸視力障害センターに入所して、生活訓練を受け、そのまま理療科に進み、無事卒業、国家試験をパスし、免許を取得しました。
そして、治療家となった訳ですが、経験も少ないので、就職する事にしました。そして、垂水区の某治療院に就職。この治療院ではスタッフに番号が付けられていて、私も7番という番号を付けられました。(苦笑)患者さんには「番号やと、なんか刑務所の囚人みたいやねぇ。」とか言われる事もよくあり、結局名前を聞かれるということがありましたねぇ。(苦笑)
そして、私を指名して下さる患者さんも増えてきてましたので、申し訳ないなぁと思いつつ、治療に対する考え方が合わない事もあり、自分の目指す治療をするために退社して開院する事にしました。そして現在に至るという訳です。まぁ、退社した理由には裏事情もありますが、ここでは伏せておきます。 |